「現代医学が常識なら、東洋医学は非常識」
「医」は、医する者の術だけでは成り立たない。
「治してやる」という医する者の思いあがりも、「治すのが当たり前」という病める者の思いちがいも、互いにとっては不幸のもと。
互いに求められているのは「礼節」と「同意」。
よほどでない限り、患者は「効かない」「ヤブ」など軽々に口にするものではない(客観的にみれば、そのような病状に至った経緯にまで術者が負う責任はない)。
術者は「なぜもっと早くこなかったのか」「なぜこうなるまでほってたのか」「こんなことをしたらそうなるにきまってる」などの叱責は厳に慎まなければならない。
術者は、まずは「ねぎらい」を。
依頼を受ける側の不必要な威厳の誇示であり、ただの「後出しジャンケン」。あるいは、つい自分が軽んぜられたという錯覚、悔しさ、憎悪のようなごく個人的な感情も多分に含まれているのかもしれない。
こうなるまでほうっておいたのは、本人がギリギリまでまったく気づかずにいたり、あるいは(恐怖や金銭的な問題など様々な理由によって)我慢していたり、あるいは無理に連れて来られたということもあるだろう。事情の奈何を問わず、患者のやっとの思いで来たことそれ自体がまずねぎらわれるべきだろう。
「診察」や「治療」は然る後のことである。
さらに言えば、ずっと見守っていた家族が、不当にも術者(時に警察)からその責めを受ける場合もあるが、同様に「よくぞここまで」くらいの「思いやり」や「ねぎらい」があってしかるべきではないか。
注意を怠ったなどと嫌疑をかけるなどもってのほかだし、たとえそうであってもそれは「本人の強い願い」かも知れないのだから。
とかく家族の問題に深く関わること故、軽々に叱責などできはしない。
「こんな私をお願いします」
「承ります。よくここまで頑張りましたね」
ともに「敬意」と「謙虚さ」を。