鍼灸はコロナ対策に最適な方法のひとつです
2020/03/25掲載 03/08改訂 04/26増補
2025/08/18 追記3
はじめに
「コロナ対策に鍼灸?」と、ほとんどの方が思うことでしょう。病院ではもちろんのこと、メディアなどでもほぼ取り上げられることはないですからね。鍼灸が浸透していないわが国では無理もないことです。それはそれとして、この騒動を機に、なぜコロナ対策に鍼灸が最適な方法のひとつであるのかを、鍼灸のことをよく知っていただくためにも書いてみたいと思います。
感染することを前提に行動するべきこと
コロナウイルスの感染拡大を止めることは、インフルエンザなどと同じように、困難です。実際に新型コロナウイルスはいちおうパンデミックに至ったとのことですし、拡大はしばらく苛烈を極めることになるでしょう。ならば、感染することを前提に行動していく方が、現実的ではないでしょうか(できれば感染したくはないのですが)。
冷静に状況を判断するために 〜私たちのよく知るパンデミックはインフルエンザ〜
コロナウイルスの感染拡大はやむを得ないこととして、その状況を冷静に判断し、不要な恐怖心を持たないために私たちができることがあります。
これまで身近に起きていたパンデミックは、みなさんがよくご存知のインフルエンザです。厚生労働省によれば年間1000万人と推計されているようで、あえてピーク時の12月から3月の4ヶ月のみとして平均感染者数を割り出すと、1ヶ月で250万人、1日約8万人となります。

私たちがよく知るインフルエンザの流行の本当に多い時期を1日20万人として見積もったとして、家族や親戚、友人をはじめ、学校や職場などでどの程度の人たちが罹患していたかが指標となるでしょう。
身近な人たち、そして、そこから聞こえてくる周囲の感染状況を、「ウチもなりました」「お宅もなりました?」「すぐに熱が下がって元気で暇を持て余しています」「学級閉鎖になって家で子供がうれしそうにしています」「会社を休まざるを得なくて迷惑をかけてしまった」などと、みな流行っている状況を半ば笑いながら共有していたことを思い出してください。
言いたいのは、テレビや新聞などが伝える感染者数ではなく、体感としての流行具合です。それも、かつてのインフルエンザと比べて多いのか、症状はひどいのか、という視点を持ってください、ということです。
それから、感染症と言われていますが、どの家庭でも必ず全員が罹患するわけではありませんよね。時に全滅ということもあるでしょう。しかし、ある家庭では一人だけ、あるいはほかではもう一人、といった具合に、その時その時で違っているはずです。個人差、つまり家庭や社会環境の違いによる個々の状況や体調を考慮に入れるべきということです。
私は、仕事柄、体調管理で定期的に通っている患者さんには、インフルエンザや風邪になった時には往診すると伝えています。そして、必ず最初に「うつしたら悪いから」と心配されますが、キッパリ「一度たりともうつったことはありませんし、東洋医学にはうつるという概念(病因論)が皆無に等しく、私自身もそう考えているので問題ありません。仮にうつったとしたら、その時は自分で治療して治るのを待つだけです*」と言い切って、実際に何度も往診し、今も無事に生きています。
ウイルスを問題(敵)にしている間は、ウイルスからは逃れることはできませんが、すべての問題を自己の問題として見たならば、様々なことが違ってくることでしょう。
*例えこのために重症または病死することがあっても、それはそれだと思っています。私も「命がけで生きている」一人だからです。
ただ、多くの方と決定的に違うのは、日頃から可能な限りの自分の手入れをしているという点です。人事を尽くしきれているかはわかりませんが、天命を待つ心がまえは少しはできていると思っています。
もちろん死ぬことは嫌ですが、正直に言えば、いわゆる厭世的な私は、そこまで何がなんでも生ていたいとも思っていません。病を恐れ、病院に駆け込む多くの方は、なんと言いますか、きっと幸せなのでしょう。
感染予防や拡大抑止では根本的な対応にはならず、はなはだ不十分であること 2025/09/02増補
コロナウイルスに対する有効な治療法が確立されていない今、できることは何か?
日頃から消毒や防護といった外敵を駆逐したり遠ざけたりすることばかりに気を取られるのではなく、自分の体調が万全であるのかをこれを機に見直してみてはいかがでしょうか?
うがいや手洗いなどの感染予防、マスクや他人との接触制限などによる急拡散の抑止では感染への十分な備えとは言えません。
除菌や消毒は、かえって自分を構成する内外の常在菌を殺すばかりでなく、日頃、自然に処理している雑菌などに対する抵抗力も落ちる一方。特にこどもには悪弊ばかりです。公園など外で遊んだり、こども同士で接触することで獲得していく免疫が備わらず、「ひ弱」で「病弱」なまま育っていくことになります。
また、マスクは表情が見えないため、人の感情を視覚によって理解することが上手にできず、自分も表現できないまま大きくなる可能性が高まります。ほかにも、マスクに含まれるマイクロプラスチックの吸引による健康被害やマイクロプラスチックを含む無生物毒素の吸引による発癌の可能性、同じマスクの長時間着用による不衛生*とそれによる様々な病気の発症の危険性など、表向きの効用よりも懸念されている弊害の方がはるかにおおきな問題ではないでしょうか。これは大人にもあてはまること。
*当たり前ですが、マスクの性能に比例して外部から入りにくくなると同時に内部からも出にくくなり、内部に呼気がこもり何かが付着するのは当然のことです。
冷静に考えれば、いつまでもこのような対処を続けることの意味も問うていかなければなりません。清潔とはいったいなんなのか、本当に必要なのか、それを続けることで何が起きるのかを。なぜなら、感染するのは人であり、拡散するのも人だからです。
誤解を恐れずに言えば、感染は避けられません。感染することを前提にすれば、おのずと行動も変えざるを得ないと思います。たとえ対コロナウイルスの有効な治療法が確立しても、それは変わることがありません
体調をととのえていくことがなによりも大事であること
では、何をしたらよいのか。
だれもが知っている体調の管理です。
まず向き合うべきは、ウイルスに立ち向かうための城となる自己の心身でなくてはなりません。安定した心、充実した体があってこそ、目に見えないウイルスとも戦うことができるというものです。不安や恐れに萎縮した心、疲労困憊した体では、丸裸同然、どんなに外に対する策を講じても、その効力は半減どころかほとんど意味をなさない可能性すらあります。
現に重症化するのは高齢の方や持病のある方である傾向があり、多くは軽度の症状で済むようです。そして、不顕感染で終わる人も多いのではないかとも言われています。もちろん、若い方や元気な方(自称*)でもひどい症状に見舞われたり、重症化する場合もあります。
こうした違いは、ひとえに個々人の免疫力の差にあると言っても過言ではないでしょう。
・十分な食事と睡眠
・休息
・適度な運動や発散
・充実した時間
これらは私たちがよく知っていて日頃からできる王道ではあるものの、難しくもあります。頑張りすぎず、できることから少しずつやっていくことが大切です。そうすれば、目には見えなくとも自然と変わってくることでしょう。
コロナウイルスが私たちに突きつけたものは、人も動植物と同じく、個々が自然の中で日々「命がけ」で「生きている」という冷酷な事実です。相手を思いやる心、少なくとも家族を思う気持ちは、ひとり人に備わったものではありません。ただ人のみがウイルスを認識し、そのための悲喜劇を演じているのです。
自分を守ることは、大切な人を守ることに通じていることは間違いありません。
今言えることは、自分の守り方を考えるべき時期に来ているということでしょうか。
*元気と感じることはとてもよいことですが、その感覚と実際の状態が一致しているとは限りません。
あなたをとりまく環境は、すべて順調ですか。ねつきの良し悪し、夜間の中途覚醒・小水・夢の有無、寝起きなど、いかがでしょうか。大便は毎日でているでしょうか。下痢しやすかったり、便秘だったりしないでしょうか。肩こりや腰痛、頭痛、冷えやほてり、気分の浮き沈みなどありませんか。天候や季節によって特定の症状が出たりしませんか。疲れがたまってくるとヘルペスや帯状庖疹、円形脱毛が発症したりませんか。服薬中ではありませんか。
日頃、あまり気にしないようなささいなことであっても、その人の消耗度というものが如実に表れています。
鍼灸では、そうした大小様々な状態を総合的に判断し、全身的な治療をしていきます。
こんな今だからこそ免疫力を高める鍼灸を
免疫力を高めることと言えば、鍼灸もはずすことはできません。
鍼灸は、「気をめぐらす(ととのえる)」ことでその人の持つ回復力(自然治癒力)を高め、慢性的な苦痛や様々な症状の全体的な改善を促していきます。諸症状の改善の結果からみて、循環がよくなることで自律神経の変調や心身のバランスが整っていくということが言えます。また、長く治療をされている方の多くは、「疲れにくくなった」「いつもよりも頑張れる」「浮き沈みが減った」「カゼをひかなくなった」「顔色(心)が明るくなった」「肌つやがよくなった」など調子のよさを感じられることから、免疫力の向上や体調の維持にも寄与していることは明らかです。
目に見えないものに恐怖し、それにばかり気を取られていると、大事なことを見失うばかりか、そのために不要なストレスをかかえることにもなります。それよりも、目に見えない自分の免疫力を信じれるようになるための策を講じることの方が何倍も前向きな行動だと思います*。
定期的な鍼灸治療により、心身は丈夫になり、様々な外的要因(季節・天候・ウイルス・細菌・人間関係など)に柔軟に対応できるようになっていきます。カゼやインフルエンザはもちろんのこと、このたびのコロナウイルスであっても、鍼灸が最適な対策のひとつになることがおわかりいただけるのではないでしょうか。
こんな今だからこそ、①少しでも感染の可能性を低くするために、あるいは②感染してもより軽く済むように、ひいては③医療崩壊を防ぐためにも、生活の在り方に目を向け、鍼灸による事前(予防的)治療という積極的かつ攻めの選択で元気になることを是非お考えください。
*東洋医学には古くから「未病治(未病をおさめる)」という考え方があります。病気の予防や体調管理も含まれるもので、それと似た発想が兵法にも「無形の勝ちをおさめる」▼としてあります。簡単に言えば、結果が目に見える形でわかるのではなく、誰も気がつかないうちに病の芽を摘み、勝ちを得るのが最善であり、それこそが真骨頂だというのです。鍼灸が予防医学とも言われる所以です。
▼『孫子』形篇「見勝不過衆人之所知、非善之善者也。戦勝而天下曰善、非善之善者也。故挙秋毫不為多力、見日月不為明目、聞雷霆不為聡耳。(勝ちを見ること衆人の知る所に過ぎざるは、善の善なる者に非ざるなり。戦い勝ちて天下善なりと曰うは、善の善なる者に非ざるなり。故に秋毫を挙ぐるは多力と為さず、日月を見るは明目と為さず、雷霆を聞くは聡耳と為さず。)」。
事後(発病後)から事前(予防)の治療へ
すでに自粛のために、イライラやうつ気味、不安傾向など心に問題を抱える人が増え、その果てのDVや虐待、離婚、殺人といった家庭内の不和にまで影響が及んできています。
一番の敵は、ウイルスではなく、不安や恐れです。
今こそこれまでの治療概念をおおきく変える時です。ウイルスを避けることから、ウイルスに負けない心身を維持することへ、それこそが自分を守り、そして大事な人を守ることにつながっていくものと信じております。
より多くの方が生活の一部に鍼灸を取り入れられることを切に願っております。
それでもコロナになってはダメですか?
ここまで読み進められた方に問います。
「コロナになってはダメですか?」
まだダメだと思う方は、なぜそう思うのかを自問してください。
「みんなのため」、あるいは「医者が」「専門家が」「国が」「みんなが」「そう言うから」という理由は、他責であり、また権威主義、群衆心理、あるいは同調圧力の結果であって、まったく自分の意思ではありませんから、それはひとまず横に置いて、、、*。
怖いですか? 不安ですか?
その恐れはいったいどこからきているのでしょう?**
よい機会です、しっかりと自分と向き合ってみてください。
私は自分がなってもしかたないと思っています。すでに述べたように、ならないように自分なりに(おそらく多くの方よりはかなりしっかりした)手入れや努力はしていますから、それでもなったのなら致し方ないこととおとなしくあきらめます。そして、あがくことなく、淡々といつも通り自分で、そして山田に鍼灸治療してもらい、治るべきものであれば、そのように回復するようしていくだけのことです。もし治らないものであれば、それはそれとして受け入れるよりほかはありません(死期を迎えた人への延命措置ほど残酷なことはありません。静かに逝く準備を邪魔され、無駄に苦しむ時間が延びるのですから)。私たちは、いつかは必ず死を迎えることをどうか忘れずに。「死に様」も大切です。
*自分の外に「ウイルス」などの「敵」を作ることは責任転嫁であり、また「みんな」を理由にすることはあまりにも安易で思考停止の状態にあるということ。これらは、個人の意思を表明できない全体主義、かつての「戦争」に通じている危険な状況でもあります。マスクやワクチンの「推奨」「着用をお願いします」などと言いながら、その実は「強制」や「義務」と変わらない力を持っています。「みんなのために」という殺文句のために。また、コロナに対する恐怖や不安を逆手に取られ、国民の多くが自ら緊急事態宣言やマスク着用、ワクチン接種を進んで求めるという事態も起きています。「病気喧伝」しかり、「早期発見」、「早期治療」、毎年の「健康診断」の案内も変わりなく、「あなたの健康のために」「大切なお知らせ」などとあたかも私たちを思いやるかのような優しさを装っているだけで、実質は病を恐れる心理を巧妙に利用した病院への誘導であり、私たちはみずからそれらを求めるようにしむけられているのです。「疾病予防」とは、自分のこと(生活、環境など)を自ら顧みて、大病をしないように、自ら自分の手入れをしていくことです。「大事は小事より起こる」もの、日頃の手入れが何よりの予防になることは、賢明なあなたには容易にわかることでしょう。予防(日頃の手入れ)こそが先手であり、「ワクチン」「早期発見」「早期治療」はすべて後手の手段であって、文字通り「早期」の事後処理のこと、何の予防にもなっていないことをよくよく理解しておく必要があります。
故に他責ではなく自責であれ、問題は常に自分にあり、と何度も申しているわけです。
**私からの箴言
「不安」
少なくとも不安には分からないことから来る漠然とした不安と知ることでいっそう深まる不安のふたつがある。
「倒錯」
長生きしたい、健康でいたい、病気になりたくない。その極に、微に入り細に入り、わざわざ病を見つけ出そうと必死になる。
「早期発見、早期治療」
そのもっともらしい文言が「甘美」に響くようであればすでに「重症」だ。
「ワクチン」
「不安」をやわらげ「倒錯」した心を落ち着かせるための麻薬の一種。
「敵」:①もっともいまいましい「敵」は自己を棚上げする「他責思考」
②もっとも恐るべき「敵」は現代医学を至上とする「医療専政」
③もっとも注意すべき「敵」は科学こそ絶対と思わせる「エビデンス」
④もっとも疑うべき「敵」は医学と科学の常套句「最新」「最先端」「新説」「新知見」「新常識」――――― 間違いを素直に間違いとは認めずに、これまでの認識をいともたやすく変えおおせる「魔法の言葉」
追記1
緊急事態宣言が出た今、ほんとうに怖いのは次の4点。
①感染を恐れて疎開する人々が地方にウイルスを伝染させること。
②ウイルスのために仕事を失い貧困にあえぐ人が大量に出て、混乱をきたすこと。
③流行が長く続き、その猛威を極度に発揮した時、自暴自棄となって誰も逃げ隠れしなくなること。
④感染者数が次第に減少し、緊急事態宣言が解除されてから、人々が気を緩めた時。避けていた人混みを作ることで感染がぶり返すこと。
デフォー『ペスト』から読み取れる17世紀の人々の動向は、今とほとんど変わりがない。また、無症状の患者が多く、そのために感染がより拡大したという点でも共通している。大きく異なるのは、ペストの致死率が7割ほどであること、またペスト蔓延中は常に方々からかなりの義捐金が集まり、職を失った人や貧困層の経済による死を防いだこと(ただし、ペスト終息後は救恤金が集まらず、貧困者が続出したとのこと)。
現在のコロナウイルスによる死亡率から見て、コロナがペスト以上の猛威を振るうことは考えにくい*。ただし、季節性でないと見られることから、終息するにはある程度の蔓延が必要であり、だらだらと続くことが予想される。少なくともワクチンや特効薬が作られるまでの我慢となる。
とはいえ、どこまでも体力勝負であることには違いない。それがペストであっても**。
*ペストの死亡率は約7割、1665年のペスト流行ではロンドン市内の25%(10万人)が死亡したと言われている。恐ろしいペストでさえ、ロンドンの人々を全滅させることはなかったことを考えても、コロナが全世界でどんなに猖獗を極めてもこれほどにはならないだろう。
**命のいとなみがつづく限り、ウイルスの変異もとめられない。ウイルスを滅ぼすことができるとすれば、媒介するすべての命を絶たなければならない。そして、人も例外ではなく、それを願う人がまずもってその対象となることはまぬがれないだろう。ウイルスを敵と認知しているのは、唯一、人だけなのだから。
2020/04/08掲載
追記2
緊急事態宣言が全国に広げられた今、これからの日本の感染拡大はどうなるのだろうか。
人命を第一に考えれば、何よりも医療崩壊を防ぐことが最重要の課題となるのは間違いない(同時に経済困窮による死も防がなければならない)。そのための全国での緊急事態宣言である。これまで失敗してきた同じ病院での混合入院は早急にやめなければならない。院内感染を防ぐことは不可能で、それによる事態のいっそうの悪化は悲惨というよりほかはない。コロナに特化した医療施設の充実が急務であり、その早期実現を願う。
ところで、日本の緊急事態宣言が欧米のロックダウンよりもかなりあまいということはよく言われているところである。が、それには意外な効用もあるのではないかと思っている。簡単な理由で、平時よりもかなり多くの人が、日中に散歩やジョギングをしたり、公園で遊ぶなど、日光に当たって体を動かしていることにある。適度な運動、それも陽に当たる状態であれば、室内や夜にするよりも体にとってはよりよい結果をもたらす。欧米では、それを一切禁止しているため、肉体的だけでなく、精神的にも大きなダメージを与え、たとえ感染拡大が落ち着いても、人々の心身はボロボロで、ロックダウン解除後の感染の急拡大や死者増加の恐れも可能性としては高いと思われる。そういう意味で、日本での拡大は一定程度は進むとしても、ロックダウンを経験している欧米の人々に比べ、相対的に心身が安定しているはずであり、緊急事態宣言終了後も再拡大はあるとしても、被害は少なく済む可能性が高いと言える。
感染することを前提に考えれば、現在の日本のやり方は間違っていない。繰り返しになるが、安定した心身こそが、①感染の可能性を低くさせ、仮に②感染してもより軽く済むための絶対条件となることを忘れてはならない。私たちは、共存するしか道はないのだから(ウイルスと戦うことはできないのだから)。
2020/04/19掲載
追記3 ワクチンのことなど
ワクチンについて私見を述べておきます。
ワクチンは「不要」
私は、ワクチンについては「賛否」をこえて、ただ「不要」と考えています。
「根本的な原因が自分にある」ことをまったくかえりみず、「すべての原因はウイルスにあり」と断定し、敵を外に作り、消毒や抗生物質による攻撃(反撃としての耐性菌=医原病)、マスクやワクチンによる防御(弊害としての人の弱体化や健康被害)することが、本当に適切な対応なのでしょうか。
なんと稚拙で粗野な発想か。
「ワクチンの副作用」と「かかった時のつらさ」と、どちらがいいですか。ワクチンは打てば100%体内に何かが入り影響がでます。それに対して、ウイルス(があるとして)にどれほどの確率ででくわせるのでしょうか。上記の「冷静に状況を判断するために ~私たちのよく知るパンデミックはインフルエンザ〜」に触れたように、確かに罹患を避けることは不可能ですが、その一方で、すべての人が一挙に罹患することもまた起こり得ないでしょう。そして、この間の動向からワクチンを打とうが罹患を防げるわけではないことも明らかです。にも関わらず、ワクチンの高い摂取率。自然に罹患することを許容するよりも、異物を体内に入れることを自ら進んで求めた事実、また他人にも打つことを求める異常さ、これこそが恐ろしいことではないでしょうか。
インフルエンザ予防接種については以前から言われていること(前橋市医師会「インフルエンザの予防接種」。宇多川久美子『その「1錠」が脳をダメにする 薬剤師が教える薬の害がわかる本』*)、私が診ている患者さんにも仕事柄、毎年打たなければならない方が何人もいます。中には打つとすぐにインフルエンザと同等の症状を呈するという方もおられ、そのような方は鍼灸治療により無症状になります。
*5「インフルエンザ予防接種」は、ギャンブル、34頁


繰り返します。ほんとうに怖いのは実態のよくわからないコロナですか。怪しげなワクチンですか。打った人も(打った人が、とも*)罹患するコロナ、超過死、認定数の増えるワクチン健康被害。私には注射器が銃口に、中身が殺傷能力のある銃弾に見えます。故に、それを向けられるのが怖くてなりません。
体内に100%打ち込まれるのだから(決して逃げることができないのですよ)。
そして、それによって被った何かは消せません。いや、そんなによくないものならそもそも打たせないでしょうとか、仮に被害がでたら国の救済があるでしょうと言う方もおられるでしょう。ええ、後でどんな補償や治療があったとしても、多くは薬害などの認定はおりませんし、おりてもずいぶん先のことです。その間の苦しみ、そして、待った末によくなる保証もどこにもないのですよ。しつこいようですが、救済や補償があるということは、すでになんらかの害が起こり、それを被ったということ。どうであれ、もうとりかえしのつかない状態にあるということですよ。
なぜ何のために打つのか、よくよく考えましょう。
*日経新聞「コロナ死者数、4分の1はワクチン未接種原因か 米調査」の見出しを正しく理解するとすれば、コロナ死者の4分の3はワクチン接種が原因ということになります。あたかも未接種が原因でコロナに罹患して死亡するかのように「印象操作」をしたいのでしょうが、「ただただ怖くてなにも考えられない人」ではなく、「冷静に読んで考えられる人」ならば、「おかしい」と感じるでしょう。私たちを馬鹿にするのにもほどがあります。
「コロナ禍」と呼ばれる数年で何を学びましたか
この間の学びにより、今後、医療が私たちに喧伝する「未知の感染症」にどう対応するかが決まります。
医療側は、コロナは「未知の感染症」で私たちには免疫がなく、特効薬もワクチンもなく、人はまったく無防備で丸裸同然だと、高圧的に言いました。それは、裏を返せば、医療ではできることがないと白旗をあげたも同然なのです。
にも関わらず、人は発熱外来のある病院におしかけ、それも開院前の早朝から。なんとも元気なことで。元気なのはよいことですが、ほかに自分で自分にするべきことはあるはずです。そうやって受診にこぎつけるまで長い時間ならび待った病院の対応は、キットを使った簡単な検査と解熱剤の処方、そして自宅療養と隔離の指示。口が悪いかもしれませんが、こどもの「お医者さんゴッコ」となんら変わりのない、専門知識もまったく必要としない、各家庭でできるようなことのみ。真に人を思う医師や看護師などの関係者は、自分のしていることに疑問を持つかもしれませんね。自分はなにもしていないし、なによりも「治していない」と。
主体は自分であり、感染源でも、まして医療でもないのです。
意外と知られていませんが、①西洋医学の本領は外科、そして②薬は石油由来、かつ症状を抑えるだけで治さないこと、③人が治るのは自分の力であり、それが自然なこと、の3点はとても大切なこと。
しかし、医師をはじめとした今の医療従事者の多くは、そうしたことを知らず、学んだ医学知識を妄信し、西洋医学を至上のものと信じきっているようです。そのまっぐな思い故に。

昔の製薬会社関係者は、周囲に「命に関わるもの以外は飲むな」ときつくいっていたようですが、最近の関係者はまったく知らず、むしろ「困っている人のために日夜はげんでいる」とかたく信じ、本人達も好んで飲んでいることからもうかがえます。医療従事者ならなおのこと。医師でもワクチン接種さえ当たり前にする時代です(一方では、何かしらの事情を知って打たない医師もいましたが)。
にわかにはわからないかもしれませんが、「感染症」は今の医療によりもたらされる別の意図を持った何か、「未知」を武器にして私たちに恐怖や制限そして従順を導き出す何かです。
関連記事を列挙しておきます。
「厚労省「次に来るパンデミック」への対策を強化 “未知の感染症”に備える仕組みとは 」
私には厚労省がさらに今後の「未知の感染症」に言及し、さらに私たちを不要な恐怖を植え付け、無用な医療に縛りつけようとしているように見えます。私の考えでは、「未知の感染症」の「日常生活や経済への影響を最小限」にするため必要なのは、医療(早期に把握する仕組み)ではなく、「日頃の体調管理」と「不調時の十分な休養」の指導とその環境整備です。
「ユーチューバーが「コロナワクチンを推奨するとお金がもらえた」と暴露…政府や製薬会社が「国のカネ」で拡散した「偽情報」」
「よく「反ワクチンは陰謀論・偽情報」と叩かれるのですが、ワクチンを推奨する情報こそ、国や製薬企業のお金によって作られた「偽情報」だった可能性がある」と。
私のような者が正論をいくら言ったところで、無関心、あるいは詐欺に遭っている最中の形相で、ほとんど誰も聞く耳をもたない。「大衆は常に間違う」と言われても仕方ないのかもしれない、とつくづく思います。
権威主義、奴隷根性などなど、いくらでも揶揄できますが、「何を言っているか」ではなく、それを「誰が言っているか」が問題なのです。

「ワクチン未接種者への怒りが意図的な心理操作だった理由」
イェール大学で2020年に行われた心理実験「大切な人を感染させたらどれほど恥ずかしいか想像してください」。
これは「公衆衛生政策」という名目のもとで実施された大規模な非倫理的実験だ。
その目的は、「人々をどう操れば接種するか」。
そのために「周囲の人に接種を勧めさせること」、そして「接種しない人を悪者扱いさせること」が重要だった。単に個人に摂取させるだけでは不十分だからだ。あなたの大切な人を使って、あなたを追い込む戦略なのだ。
・イェール大学が発見した「恥ずかしさ」という最強の武器
「ワクチンを打たずに大切な人に感染させてしまったら、どれほど恥ずかしく思うでしょうか」。これを聞いた人の摂取率は上がり、周囲に対して「ワクチンを打つべきだ」と強く主張するようになり、「そんなこと言って、誰かにうつしたらどうするの」と迫るようになったが、自然に思いついた心配からの言葉ではなく、研究者が最も効果的だと証明した心理操作によるものだった。
・「科学を信じろ」が生み出したマウンティング戦術
「ワクチンを拒否する人は科学について無知か混乱している」「接種しないことで、あなたが科学を理解していない人間だということが周りにバレる」。研究者が意図的に植え付けた優越感に操られていた言動。
・自由と経済を人質にとった飴と鞭の心理戦術
「ロックダウンで自由が奪われているのは、みんながワクチンを打たないからだ」「摂取率があがれば規制はなくなる」という論理で自由を重視する人々の心理を巧妙に突く。典型的な人質戦術で、政府が自由を制限して、その解除の条件としてワクチン接種を要求する。「自由が欲しければワクチンを打て、打たない奴のせいで自由がなくなる」と人々に言わせた。「早くみんなが打って普通の生活に戻りたい」と言っていた人々は、自然な感情からではなく、研究者の仕掛けた心理的な罠によるものだった。
「効果的なメッセージは、人々に自分で摂取させるだけでなく、周囲にも接種を勧めさせ、接種しない人を否定的に判断させる」こと。あなたの大切な人を利用して、あなたを孤立させることが最初からの目的だった。ワクチンの是非は人それぞれだ。にも関わらず、あなたが友人や家族との関係を失ったのならば、それは市民同士を対立させ、人間関係を破壊することで政策目標を達成しようとする手法によるものであり、科学の名を借りた権力の犠牲だったのだ。
「ワクチン接種医師「時給18万円」の衝撃…財務省資料でわかった「コロナで病院が大儲け」のカラクリ」
医療を “産業” や “ビジネス” として捉えてきた日本の医療制度に問題がある。アメリカを例外として、世界の先進国は医療を “国民の安全保障” とみなし、ビジネスに開放していない。
「モデルナ、日本で27年にもがんワクチン まず皮膚がん」
米モデルナはmRNA技術を使った「がんワクチン(初のがん関連製品)」を日本に投入(日本市場を開拓)する。新型コロナウイルスワクチンの需要が落ち込む中、感染症から需要が大きいがん領域に切り替え次の成長を目指す。
製薬会社の動き=「供給」
「製品」「市場」「成長」→病気喧伝→早期の「発見」「治療」「予防」
人々の反応=「需要」
けしかけられる「恐怖」「不安」→強迫観念→求めさせられる「需要」
そう、これは最初から医療ではないのですよ。「需要」は「供給」のために作られる。お忘れなく。
ウイルスを喧伝する者、ウイルスを怖がる者。ワクチンを作る者、ワクチンを欲する者。それぞれ対立関係にありますが、一対の関係でもあります。少なくとも感染症にまつわる騒動は、個人が考え方を変えない限り終わりません。
簡単に言えば、喧伝される「ウイルスとワクチンの話を無視できるか」だけのこと。
繰り返します。
「問題はすべて自分にある」のですよ。
それでもまだ「ワクチン」は必要ですか
それでもまだ「すがり」続けますか。
感染症・病気予防に不可欠かつ最も重要なのは「元気でいること」です。そのために何が必要で何をするか、その唯一できる不断の努力を忘れ、自然な病や死をただ恐れ、すがるように予防と称する消毒やワクチン、検査を先手にすえ、かえって不調や死をまねく。なんと不毛で怠惰、不自然かつ暴力的であるか。
私からの箴言をひとつ進言しましょう。
「もし自分がどのくらい具合悪いかを、自分で知ろうとしないで、あるいは無視して、そのまま人任せで先へ進むのなら、それほど危険なことはないだろう」
真に大切なのは、人に寄り添うこと。
私の知る限り、現代医学(西洋医学)から蔑まれる伝統医学の方が、医療側で「未知」であっても根本的な治療ができます。なぜなら「本質」を知っているからです。主体である人を元気にすること、そのために様々な病(不調)の根源である人の弱った力を回復させる手助けをすること、それを主眼としているからです*。
ただし第一は自助ですよ。
*当院では、コロナ後遺症、コロナワクチン後遺症の治療も承っています。ブレインフォグ、頭痛、呼吸障害、味覚障害、嗅覚障害、倦怠感、発熱、咳、喉痛、上咽頭炎などでお困りの方は、ご相談ください。
2025/08/18掲載